【COLUMN】東北の復興現場を訪れて感じたこと

昭和40年代から全国で一様に進んだ中心市街地の衰退の外的理由のひとつに「車の普及」とそれによる「郊外の成立」があることは今更いうまでもない。つまり、それは国民の移動手段とライフスタイルの変化による、まちと人との関係性の変化と向き合うべき課題である。

にもかかわらず、我が国の多くの中心市街地活性化事業では、それを単なる「経営改善」「テナント誘致」「拠点施設整備」として商業的施策が展開されてきたことが、一般論として中心市街地活性化事業が失敗したと言われる要因のひとつだと思っている。

今回、東北の復興現場を巡って感じたことは、車に支えられたライフスタイルに対応し、見つめ直しながら、まちとしての楽しみを再興しようとする中心市街地の建設が、それぞれの地域のやり方で進められているということだった。

特に女川町の中心市街地は、マクロな計画からディテールの配慮まで、行政の施設配置から民間の店舗の営業まで、一貫して「このまちで暮らしていく」という意志が感じられ、それが風景としてあらわれていて、素晴らしかった。

中心市街地活性化事業とは、まちで暮らす新しいライフスタイルを構築する事業であり、ひとりひとりの意識に働きかける絶え間ないプロセスとその成果の積み重ねによって実現されるものだと言うことをあらためて女川町で教えていただきました。解説していただいた末祐介さんと小野寺康さんにこの場を借りてあらためて感謝します。

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