【日南市中活CD】日南市中心市街地活性化事業チーフディレクターを終えて

 平成29年3月23日、日南市の中心市街地活性化事業を五年間に渡って推進してきた「油津まちづくり会議」の最終回を開催。これが「中活事業チーフディレクター」としての最後のお仕事だった。

 この五年の歳月を振り返る時、胸に万感の想いが押し寄せる。思えばたくさんの方々との協働作業でした。本当にいっぱい議論したし、いっぱい飲みました、笑。たくさんの方々の熱い想いや忸怩たる思いに触れて、私も成長させていただいた。

 地域の命運を左右する、この困難なプロジェクトのディレクションを任された五年。重責でしたが、素晴らしい体制、チームに恵まれ、なんとか一定の成果を出せて少し安堵しています。ただ、まちづくりに終わりなんてなく、気分としては日本シリーズの一戦目に勝ったという感じであり、まだまだ二戦目三戦目と勝負は続いていくのだと思う。

 日南市の中活事業を語る時に、真っ先に挙がるのはサポマネ★キトーの華々しい活躍ということになるだろう。サポマネについては選考委員長としての総評文をすでに掲載しているが、事業が完了した現時点であらためて「なぜうまくいったのか」を自分なりに考えてみたいと思う。

 サポマネ★キトーの華々しい活躍の影響だろうか、九州管内でも個人を公募する事例がここ数年続いている。でも、どこもその成果は芳しくないように思う。そうした事例をみていると「まちづくりは一人ではできない」という基本的なことをもっと意識しないといけないと感じる。

 サポマネ★キトーが活躍できたのは、もちろん彼個人の能力や資質によるところが大きいが、それに加えて、もしくはそれ以上に日南市にサポマネ★キトーをハブにした選手層の分厚いまちづくり体制があったことが大きい。木藤さんと熱く語り合う市民や木藤さんと二人三脚だった市職員、(株)油津応援団を一緒に設立した方々、それと木藤さんを選び、支えた委員会メンバー等がそれにあたるだろう。

 そういう観点から振り返ると、サポマネ★キトーを選んだプロセス自体が、市民や職員や審査委員やメディアまでも「巻き込む」プロセスとしてデザインされていたことが重要なポイントであったと思う。

 選考手順、選考基準、サポマネに与えるミッション、審査委員、そう言った設定ひとつひとつを「油津まちづくり会議WG」で相当議論した。そのひとつひとつの仕掛けが奇跡のようにリンクしていって「選考プロセスがチームビルディングのプロセス」になった。それらのピースを木藤さんは見事につなげていってくれたと思う。

 特に、サポマネ★キトーの選考に向けた日南市テナントミックス事業委員会の委員決めについては、まち会議WGでかなり議論をした。その中で最後に決まったのは、たしか村岡さんと田鹿さんであった。

 おおよそのメンバーが固まってきた段階で、私からもっと自分で商売をやっている経営感覚ビンビンの人も委員にほしい!というコメントをした。そしたらWGメンバーから、それじゃあ村岡さんがいいんじゃないかというコメントがあった。まだ九州パンケーキがブレイクする前で、もちろん彼がカンブリア宮殿にでるなんて思いもよらない時期だった。

 田鹿さんは、崎田市長の選挙公約である民間人登用として日南市に招聘された方で、当選直後の市長からのご推薦で委員となった。WGメンバーにとってはどんな方なのか情報が少なかったが、このあたりの市長の鼻の効き具体はさすがだったなと思う。

 結局、村岡さんの存在が(株)油津応援団の創設に結びつき、田鹿マーケティング専門官とのコラボレーションが商店街にIT企業を誘致する成果につながった。サポマネ★キトーの素晴らしい成果はこの二人との出会いなくしては生まれなかっただろう。後から振り返れば、彼らがいたからこういう結果になった、ということになるだろうが、もちろん当初から想定できるはずがない。偶然の化学反応が必然的に起きた、という感じだ。

 チームビルディングは「偶然性」を取り込んでいく包容力が必要だ。何を言うか大体わかっている安心感のあるメンバー編成では、想定以上の高みには届かない。偶発的な化学反応が生まれるためには「新鮮な風」を吹かせることが重要な要件になる。

 「まちづくりはチームビルディングが命」であり、そのプロデュースを地域側が戦略的に行うことが重要だとあらためて感じている。日南市中活事業では、それをまち会議WGで担ったことが重要であった。誰か一人を招聘したらいろいろうまくいくだろうという甘い幻想を捨てて、地域側が主体的にマネジメントすることが求められている。

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