【日南市中活CD】サポマネ☆キトーはなぜ選ばれたのか?:中心市街地活性化の方向性

2013年6月に日南市のテナントミックスサポートマネージャ選考の際に寄稿した講評を転載します。本当に熱い審査会でした。日南市の中心市街地活性化事業にとって本当に大きなイベントであったと思います。この後の木藤さんの活躍は皆さんご存知の通りです。


テナントミックスサポートマネージャー審査 講評

日南市テナントミックスサポート事業委員会委員長 高尾忠志

 日南市にとっては大きな賭けであったと思う。人口6万人の小さな地方都市。その商店街の再生に4年間、しかも住み込みで心血を注いでくれる人がどれくらいいるだろうか。しかも、この難題に取組むサポートマネージャーには、多彩でレベルの高い専門性と、豊かな人間性、そして強い覚悟が求められる。そんな都合のよい人間が現れるだろうか。全国公募を決断した日南市の職員は期待よりもはるかに大きな不安を抱いていたことだろう。

 しかし、蓋を明けてみると、「全国公募」「月額90万円」の情報が独り歩きをし、公募のニュースは全国、いや世界に広がり、最終的には333人の応募があった。嬉しい悲鳴をあげた事務局からは委員のメンバーに大量の応募書類が送られてきた。日南市のPR戦略は、とりあえずは成功した。なお、ここで念のため書いておくが、この90万円という金額は「給与」ではなく「委託費」であり、経費等も含んだ事業費だと理解していただきたい。

 平成25年5月15日に第一次審査が開催され333人のなかから第二次審査に進む9人を選定した。若きは21歳から最年長は73歳まで、北は北海道から南は沖縄まで、なかにはヨーロッパ等の海外在住の日本人からも応募があった。

 第一次審査は、事前に応募書類に目を通した中で、気になった人物を各委員が挙げていきながら、その評価を委員全員で議論する形で進めた。技術力、経験、実績等の専門能力、コミュニケーション能力、交渉力、バランス感覚等の人間力を紙面からできる限り読みとり、サポートマネージャーにふさわしい候補者を選んでいった。人生経験が豊富で見識の高い委員の評価は不思議とずれがなく、皆の自然な総意として9人が選ばれた。第一次審査は約5時間の長時間に及んだが、委員会に一体感がうまれる感覚があったためだろう、楽しさと充足感に満たされた時間となった。

 そして、平成25年6月8~9日に第二次審査が行われた。第二次審査では、空き店舗を会場として候補者が市民の前で商店街活性化策を提案する「公開プレゼンテーション」、アーケード街に机と椅子を並べた市民と候補者の「交流会」、委員による「個別面接審査」を行った。公開プレゼンテーションの会場には市外からを含めて200名以上の来場者があり、立ち見がでるほどの盛況であった。候補者のプレゼンに熱心に耳を傾ける市民は、前のめりで聴いたり、ウンウンと頷いたり、難しそうな顔をしたり、笑顔になったり、その反応から関心の高さが伝わってきた。会場は熱気に包まれた。

 交流会と個別面接を終え、いよいよ9人から1人を選ぶための委員会が開催された。さすがは333人から選ばれた9人のレベルは高く、おそらく会場に来た市民も事務局を担っていた日南市も、候補者全員に日南市に来て欲しいと思ったことだろう。なお、余談だが、長時間の公開プレゼンの間、控え室にずっと缶詰になっていた候補者同士は、呉越同舟かすっかり意気投合し、誰が選ばれても皆で日南を応援しようと話していたと聞いた。日南市に強力な応援団ができたのだ。これは全国公募に踏み切ったことの意外な副産物だった。

 しかし、委員会としては一人を選ばなければならない。であれば、そうした外部からの応援団の中心に座れるような人でなければならない。いや応援団だけではなく、商店街関係者やまちづくり団体、油津地区住民、日南市民、そして行政も含めた体制のなかで中心にうまく収まってくれるような人間がほしい。地域の人々と一緒に走ってくれる人、地域の人々が一緒に走りたいと思えるような人であってほしい。しかし、そうしたバランス感覚やコミュニケーション能力だけでは物足りない。時には強引なくらいのリーダーシップや問題を解決に導く提案力も求められる。

 候補者9人のなかで、こうした要請すべてに応えられるオールマイティな人は当然の如くいなかった。皆、それぞれの強みと弱みがあった。では一体どのようにして選考するのか。委員会での議論は、我々が選ぼうとしているサポートマネージャーに向き合ってもらいたい「問題」とは何なのかに至った。

 商店街が抱える問題とは、お店が空いて、シャッターが閉まっていることなのか。そう考えて、これまでお店を埋めるための施策を実施し、日南市は失敗を繰り返してきた。そのことは商店街関係者も市民もよく知っている。今回も同じ問題を設定すれば、同じ失敗を繰り返すだろう。モノを売るということだけで商店街を再生しようとする考え方を直さなければならない。昭和期に形成された近代的な商店街の概念は、明治以来進められてきた政治や経済における東京一極集中とグローバリゼーションが極まり、人口減少・少子高齢化時代に突入した現代においては根本的な見直しが要請されるはずだ。時代が変わり、地域社会と地域経済のあり方も変わったのだ。そのことに真摯に向き合わなければ油津の商店街は活性化しないだろう。

 事業委員会では、これまで日南市や商店街が行ってきた従来型のお店を埋める式の施策を繰り返すことはやめようと議論した。もっと持続性の高い方向に向けて新しい可能性にチャレンジしようと。そして、それは商店街関係者自身が、油津地区住民自身が、日南市民自身が、未来に向かって考え、動く、そういう地域をつくっていくことだった。誰かにお願いして、商店街の活性化ができたとしても、その人がいなくなったらまた元に戻ってしまうだろう。

 ここまで議論が進んでくれば誰がふさわしいかは自ずと見えてきた。委員からの「あなたは商店街の一員になってともに汗を流し、一緒に走ってくれますか?」という趣旨の質問に対して、「私は、可能であればオフィスを商店街におきたいし、家族と一緒にその上に住みたい」と明快に答えたのは木藤亮太さんしかいなかった。油津商店街の4年後を明確なストーリーを持って具体的に提案できたのも彼しかいなかっただろう。この1ヶ月間、二次審査に向けてどれくらいの密度で油津の未来を考えてきたのか、公開プレゼンをみれば明らかだった。彼の地域に対する姿勢、熱意、覚悟、誠実さは、審査過程を通じて委員全員に確実に伝わっていたのだろう。全会一致での審査結果であった。

 公開プレゼンの来場者に対するアンケート調査における「印象に残っている発表者」(複数回答可)という問いに対しても62%の方が木藤さんを挙げており、二位以下の40%台に大差をつけた結果であった。委員会の評価と市民の感覚も一致した結果となった。

 全国公募という日南市が選んだ賭けは、上々のスタートを切った。しかし、言うまでもなく重要なのはこれからだ。4年後に木藤さんが「このまちを離れたくない」と思ってくれるような時間を積み重ねることができれば、きっとこの事業は成功するであろうし、油津のまちもその活気を取り戻していくだろう。木藤さんの覚悟に応えられるかどうか、今度は市民の覚悟が試されている。

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