【長崎市景観専門監】平和公園爆心地エントランス:連句の精神によるデザイン

■事業概要

 長崎市平和公園の祈念像ゾーンと爆心地ゾーンは交差点や建築物の存在でつながりが感じられず、空間的な連続性を高める整備は長崎市にとって長年の願いであった。祈念像ゾーンの整備に続き、爆心地ゾーンについても用地交渉がまとまりエントランスの改修を行うこととなった。この改修事業について景観専門監にアドバイスの依頼があった。

■当初案の問題点

 当初担当者が持ってきた整備計画は、今回取得した土地(道路用地)と既存の公園用地の境界に素直に従ったゾーニングとなっており、メタセコイアの大木も伐採する案となっていた。歩道から車道へと溢れる観光客の安全性を高めるために滞留空間をできるだけ大きくとることを最優先した整備計画であった。

 早速担当者とともに現地に赴く。私はまず必ず現地に行く(でないとわからないので)。公園と国道の境界部はマウンドアップしてメタセコイアの大木が一列に並び、公園の内外を視覚的にも聴覚的にも明確に分けている。そして、エントランスはS字に曲げられ、道路側から公園内部がまっすぐに見えないように工夫されていた。さらに一番不思議に思ったのはエントランスに紅葉の木々が植えてあることだった。近代公園のエントランスに紅葉とは珍しい。何か意味があるのではないかと思った。

 市役所に戻り、これまでの平和公園に関する既存の計画や新聞記事等を集めてもらい目を通した。すると爆心地は1990年前後に「聖域」として位置づけられ、それにふさわしい整備が行われている事がわかった。前述した公園の空間デザインはそれらを具現化したものであった。紅葉の赤は被爆を表現したものであったのかと思われる。

  長崎市の平和公園は、平和の祈りを捧げるための空間としてもともと非常にデザインクオリティが高い整備がされており、その履歴を踏襲した整備を行うべきだと考えた。担当者には景観デザインの原則である「連句の精神」を説明した。すなわち、前の人の句に合わせて下の句をつける。句をつけることでもともとの価値を高めるようでなければならない。以前誰かが読んだ句は読んではならない。新しい価値の創造が連句のルールである。そして、もし最初から今回の用地が含まれていたら以前整備した方々はどのように整備しただろうか、そう想像しながら線を引こうと話をした。整備後、整備されたことに誰も気づかないようであれば我々の勝ちだと。

■整備案の検討

 車止めの機能を兼ねてメタセコイアの木を残し、既存の車止めや照明、植栽枡は大切に再利用し、エントランスの公園側の樹木は適度に入れ替えることとした。道路と公園境界線にこだわらずにメタセコイアの木の位置を軸に利用者にとってわかりやすく違和感のないレイアウトを検討した(どこまでは公園の「外」で、どこからが公園の「中」になるのかについて様々なケースをスタディした。もともとの公園のデザインが公園の内と外で明確にデザインコードを変えていたからである)。また、爆心地を中心に放射状に伸びる赤レンガ舗装によって被爆の歴史を伝えていたデザインを踏襲し、エントランスにも放射状にうっすらと桜色の線をいれている。 検討中、爆心地とメタセコイアの木を結ぶ直線上に城山小学校(長崎市の被爆遺構Aランク)が存在することを発見した時は、やはりこのメタセコイアの木は残るべき運命だったのだと担当者と話したものであった。エントランスと歩道の境界には足下に小さくそのことを明示している。

■竣工の時を迎えて

 施工にあたっては施工会社の皆さんが本事業の設計に込めた趣旨をご理解いただき、非常に丁寧に真剣に整備をしてくださった。担当者の熱心な指導も加わって、施工状態は非常に良好で、きれいなエントランスが完成した。竣工後の記念撮影に飛び入りで参加してくださった田上市長はまっさきに施工会社の皆さんのところに向かい「長崎市の大切な歴史を未来へつなぐ素晴らしい仕事をしてくださったことに感謝します」と笑顔で述べ、頭を下げられた。施工現場の監督であった方は感極まっているようだった。

 今ではただただ普通に利用者がエントランスを歩いている。そのあまりの普通さを担当者とともに喜ばしく思っている。こうした小さな事業であっても過去と未来をつなぐ丁寧な読み込みと計画づくりが行われ、市民に全く違和感を感じさせないように時が重層的に刻まれていくことが景観デザインの理想であると思う。 

地域計画家・高尾忠志

世界の中の「ここ」で生きる

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